のんびりとYs6と月は東に日は西に(はにはに)をプレイ中です。のんびりしすぎて暇があったのに日記を書き忘れたり…
Ys6はすでに終了寸前です。はにはにも…残すところあと1キャラです。やはりというかなんと言うか、一日中ゲームやっていますと進みが速いですねぇ。
いろいろ勉強するつもりでしたがすっかりゲーム三昧です。TeXの勉強とかやらないとマズイのですが…
改めて、生きるということ、死ぬということ、この世のありかた…そんなものについて考えてみました。きっかけは些細なことなのですが、ずっしりと何かが私の中に残ったようです。
生きるということは大変なことではあるけれど、死ぬこともまた同じくらい大変なことなのだと思う。生きるのは面倒だけれど、死ぬのも面倒だから惰性で生きているという状況は、結局、死ぬことの大変さをあらわしているのかもしれない。
この世はとても醜いですが、全てが醜いわけではないはずです。たとえほんの少しでも良いところがあるのなら存在価値はあるのではないでしょうか。それに、何を醜いと見るかも、主観にまかされているような気がします。世界は醜いけれど、本当に醜いものなど存在しないということでしょうかね…
離れてほしくないけれど、近づいてきてほしくない。微妙なその距離を手に入れるのに、どんなに苦労しただろうか?当たり障りのない、中身のない会話…聞いているふりだけして少しも残らない言葉…そんなもののために今の関係を築いたはずではないけれど、結局残ったのはそんなものだけなのかもしれない。
全ては無駄なのかもしれない、どんな努力も水の泡となる瞬間がきっとやってくる。その時、それを受け入れられるだろうか?必死になってやったことが一瞬のうちに崩れ去る、その恐怖を超えられるだろうか?何度もそれを経験すれば受け入れられるようにはなるかもしれない。でも、受け入れられるだけなのではないでしょうか。
結局、努力なんてしないほうがいいのかもしれません。努力していなければ、やってきたことを否定されてもあっさりやり過ごせる、そんな気がします。努力の先にあるかもしれない喜びを追うよりも、努力の先にあるかもしれない苦しみを避けるほうを優先してしまう。
そして、残るのは無気力な存在。何にも真剣に取り組めない、悲しい存在…
それでも、生きている。いつの日か、何か、真剣に取り組むことが出来るようになることを祈って、努力できることを願って
今日学校で校外実習報告会なるものを行い、一応発表する側にもなりました…が、眠けと発表資料提出から時間がたっていたのもありまして、すごく適当な発表になりました。おまけに先生からは「ちょっと短いよ、5分発表なんだから5分発表できるように準備して…」というようなお言葉をいただきました。はい、すみません。実習先でやった発表の資料をそのまま使ったんです。そのときはきちんと5分くらい発表したんです…
時々、本気で人を殺したくなります。たいてい相手は嫌いな人なのですが、一応なんとか自制しています…自制できなくなったらどうすればいいのかと考えながら、実は別に自制できなくてもかまわないのではないかと想っていたりします。
なぜ人を殺すことはいけないのですか?
結局そこに尽きると想います。やってみないとわからないですが、おそらく私は人を殺しても罪悪感は抱かないでしょう。別に人を殺すことが悪いことだなんて思ったことはないですし、殺されることに疑問は持ちません。殺す人にとっては正当な理由があるのでしょうし、私も殺すとしたら私なりの理由があるはずですから…
生と死、人生、そういったものを主題にあげた芸術作品は大変多いです。それはやはり永遠の命題だからでしょうか、哲学においてはもちろん、人類が抱える命題であるのかもしれません。さすがに、芸術家がすべからく哲学者というわけではないでしょうし…
何にせよ、哲学というのは知らないところでお世話になっていたりします。考えることを覚えたときから始まったのではないでしょうか。
学校見学会がある日で、そのお手伝いをするため、今日も準備をしておりました。おかげで帰宅が21時です…
それはともかくとして、おかげで明日は休みなのに6時起きです…こちらのほうがつらいですね。
そんなわけで学校見学会です。…やった事といえば、準備(設置)、放置、そしてゲーム。
遊んでいました。スミマセン、にもかかわらず、仕事終了後、お菓子をいただき、さらに英語科のお手伝いだったので辞書を1冊もらってしまいました。
我が家にスピーカが着ました。エッジ部分が破損していて危なげな代物でしたので、なんとなく予想はしていましたが…片方ノイズが乗ります。一応修理方法を知り合いの方が教えてくださるそうなので直してみようかなと想っています。
何を言っているのか分からない…そんなことも良くありますよね。相手の言いたいことを理解できないのはとても辛買ったりします。でも、それは仕方のないことです。結局、他人を理解するなんてことは不可能ですし、感情を表現するにはあまりにも言葉が少なすぎます。それに、感情を上手く言葉に出来ない人間もたくさんいます。そんな中、相手が何を言いたいのか正確に把握するのは不可能に近いでしょう。それでも、相手のことを考えて、できるだけ正解に近い答えを考えるのが正しい道なのかもしれません。
死にたくなる事は良くあります。が、死ねるわけではありません。死にたくなった時に死ねるほど強い人がどれほどいるのでしょうか?
それは私の求める強さとは違うけれども、尊敬に値する強さだと思います。
人は独りで…どうしようもなく独りで…他人を求めても決して得られず、ただ遠くから、近くから見ることしか出来ない。同時に、他人からも、見られることしか出来ずに、ただひたすらに生きていくしかないのかもしれない。
他人と真に交わることが出来れば癒されることもあるだろうし、逆に傷つくこともあると想います。けれども、絶対的に存在する孤独感は消し去ることが出来るのではないでしょうか。中途半端な交わりこそが、より孤独感を高め、傷を深くしていくのだと想います。
結局、独りで生きることが一番辛くないのではないでしょうか。ほんの少しの偽りの幸せと引き換えに多大な不幸を背負う、そんなのはいやだと想うでしょう。でも、その偽りの幸せにしがみついて生きているからこそ人間でいられるのかもしれません。
さて、独りで生きるにはどうしたらいいのでしょうか、人は一人では生きられませんが、独りで生きることは可能なのでしょうか?
答えは可能です。ただひたすら心を閉ざせばいい。心を見なければいい。それだけです。でも、たったそれだけのことがどれだけ大変なのか、やってみて初めて実感することでしょう。それは寂しさかもしれません、悔しさかもしれません。とにかく、独りで生きることはとても簡単で、とても難しい。
しかし、その先にあるものはひょっとしたら何にも変えがたい平静、安寧かもしれません。その境地へたどり着くことが出来たなら真に幸せに慣れるかもしれません。それは悟りの境地と似たようなものだと想っています。
過去にこだわることはありませんが、過去を捨てることも必要ありません。どんなにつらい過去であろうとも、何らかの影響を今の自分に与えています。それを否定するということは、今の自分を否定することです。それはとても悲しいこと…やってはならないことだと思います。
どんなに自分を嫌おうとも、否定することだけはしていけない。たとえ、自分がどんなに罪深くても、どんなに不幸でも、それが自分なのです。
全身が痒いと思ってみてみると、なにやら手足がすごいことになっていました。湿疹?このテの皮膚病はかかったことがないのでわかりませんが、そういう系列の病気ではないかと疑っています。直らなければ病院にいくことになりそうですが、とりあえずはオロナイン軟膏を塗って様子を見ることにします。
これからバイトだというのに…どうしよう。
えと、バイトから帰ってきました。症状は…悪化しています。いつのまにか全身に広がっています。全身痒くてたまりません。バイト先でも、明日病院へ行ったほうがいいよと言われました。さらに、アレルギーである可能性が高まってきました。さて、どうしましょう
邪魔なものを邪魔と言えることも大切ですが、邪魔なものを排除することはとても疲れることだということを覚えておかなくてはなりません。逆にいえば、うまく邪魔なものを避ければそんなには疲れないということです。たとえ邪魔でも、何事もなかったように上手に避けることができれば一番です。
邪魔なものをどうしても排除する必要ができたときは、排除する方法をよく考え、被害を最低限に抑える工夫も必要です。それらを踏まえれば、きっとよい道が開けます。
まず最初に切り捨てるものは何かと考えてみると、真っ先に思いつくのが友好関係で、次に思いつくのが家族の縁でした。自分でもびっくりするぐらい他人との関係を軽視しているようです。ひょっとしたら他に切り捨てられるものがないだけかもしれませんが…
今日は家に18時に帰り着く予定でしたが、帰り着いたのは24時を回っていました。そもそも学校で先生の引越しの手伝いをしたのが間違いだったのかもしれません。その後別の先生の部屋で少し遊んで、駅まで降りてご飯を奢って貰って、地元の駅に着いたらバイトの時間…
いろいろおかしかったです。
QuietComfort2が届きました。やはりイヤホンとは音が違います。これだけはっきりわかるとヘッドホンはいいなと思いますね…ただ、場所をとるのが欠点だと思います。大きいので授業中に着用することも難しいですし…
他のヘッドフォンを使ったことがないのでなんともいえませんが、かなりいい音が出ていると思います。
最近、妙な気分になることが多いです。無性に何かを傷つけてみたくなったり、いらいらしたり…原因も不明です。一応なんとか抑えてはいますが、いつ抑えられなくなるか心配ですね。真っ先に自分を傷つけそうな気がするので、とりあえず周りに迷惑かける可能性は低そうですが…
バイトでいろいろおかしな事態が発生しました。一言で言うと、忙しくて暇でした。
というのも、私がバイトに入ったのが18時で、21時くらいまで休む間もなくお客様が来ました、そして21時を回ると、ぴたっとお客様が来なくなりまして、片付け作業がいつもより30分ほど早く終わってしまいました。いつもは下手すると閉店ぎりぎりまでお客様がいて大変なので、たまにはこんな日があってもいいかなと思いましたが、やはり最初の3時間の忙しさは尋常じゃなかったのでその時間だけはもう少しのんびりさせてほしいと思いました。
いろいろと考えていくうちにふと気づきました。人の考えることなんて、一朝一夕じゃ変わらないんだということに…
このヒトリゴトはもともと自分が何を考えていたのかを未来に残したくて書いているものなので、あまり変化がないようだと書く理由が減っていく…
それでも、前に進んで行くしかないのかもしれない。そんな、辛い世の中だからこそ何かを必死に追い求めるのでしょうね。それを否定する権利なんて誰も持ち合わせてはいないです。
何かを書き続けるということは良くも悪くも自分を記すことです。だから私は書き続けます、時々休んでも、ずっと、ずっと書き続けます。いつか終わりがくるのでしょうが、そのときまで書き続けます。それが、私の生き方だから…それしかできないから。
たとえば、あの人がいれば和む。あの人がいれば、ほんわかする。あの人がいれば、いらいらしなくて済む。そんな存在…それは、その人にとっていったいどのような存在なのか?
いわゆる、天使や女神に近い存在であるのか?それとも、恋愛の対象に過ぎないのか?
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