どうでもよい事ではあるんだけれど、 私が私で居られる場所って意外と少ないのかなぁと最近よく思います。
なんだかんだで周りに人間が居るとそういうモードになってしまっていまいち私ではない私になっている気がします。
じゃぁそれは私ではないのか?と言われると、いやそれも一応私ですけど。 となるわけでして。
結局プリズムみたいなものなんですよね、きっと。
光のあたりかた、見る方向で見え方が変わる。そんな感じ。
自分というフィルタを通して私を見るのか、他人というフィルタを通して私を見るのか。
またそのときの光源は私なのか、他人なのか…
そのあたりの組み合わせでいろいろ変わるんだと思います。
結局、何か違うと思っていても全部が私と言う事なのでしょう。
最近の情勢を見ているとデフレが進んでいくなぁという感想を抱きます。
なんだろう、モノやサービスに対する価値が変わりつつあるといえば良いのかな。
何でも安く手にはいるのが当然のような流れ。
最終的には何でも無料で…という流れに繋がるのだろうか。
そうなっていったとき、提供する側も無料で提供出来るような状況になれば 共産主義が夢見た世界に近づくのかもしれません。
それはそれで構わないと思いますが、それほど人間が進化出来るのかどうか疑問が残ります。
全ての人がその人なりの最善を目指し、全てのものを分け合えるような精神を人類が持ちうるとは思えませんので。
結局無料でというのは対価を払わないでということになりますので、 たとえば労働者であれば、労働に対する対価をもらいつつ、サービスを受けるときに対価を払いたくないという意味不明なことになるんじゃないかと。
資本主義においては、モノやサービスに対し、需要と供給という観点から画一的な価値を見いだし、その価値の交換でもって成り立っている状況ですから、 自分は対価をもらい、相手に対価を払わないというのはモノやサービスの価値を貶めることで、結局自分の労働に対する価値を貶めることじゃないかな。
なんだかよく分からない方向に話がそれてる気がしますが…
デフレに話を戻しますと、全世界的に同じようにデフレが進んでいくのなら、それは単純にモノやサービスの対価の再編であって、別に社会の進歩が後れるというわけではないと思います。
大体において時間差的にデフレが進むから、社会の進歩が後れることになるのですが。 お金を貸すのが仕事の銀行だって、全世界の会社が同じように業績悪化させれば、結局最後にはおなじようにお金を貸すしか無くなりますし。お金を貸さない銀行に価値はありませんから。
為替相場の変化もデフレの一種でしょうね。
たまにはまじめな事を書こうと思ったらKonozama状態ですがこんなところで。
最近、自分の世界がどんどん閉じていっている気がします。
もちろんそれは自ら閉じている事に他ならないわけですが。
閉じようとしているわけではないのに、気がついたら窓が一つ閉じられているという感覚で。
さらにその閉じられた窓を見ても全然開けたいと思わなくなっている自分が居て。
こうして世界が狭くなっていくものなのかなとどうでもいいことを思っています。
当たり前の事を当たり前だと言える、そんな良い世界が何処かにあるんだろうか。
少なくとも、それは此処ではない何処かなんだろうけれど。
それでも、せめて、間違ってる事は間違ってると声を出して言えるそんな世界を見つけたい。
なにが正しいかなんて分からないけれど、どう考えてもこれは間違ってるだろうということはよくあるんだから。
何かがおかしい、そんな風に言える世界。そこに生きるのが私の幸せなんだと思う。
前 | 2010年 6月 |
次 | ||||
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||
6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 |
27 | 28 | 29 | 30 |
個人的なリンク
マウンテン公式Blog作家さんへのリンク
メーカさんへのリンク
同人サークルさんへのリンク