関西の方で23歳の女性が3歳と1歳の自分の子供を放置して殺したというニュースがあった。
私の中学の同級生で、16か17くらいで子供を産んで、20くらいで離婚した人がいる。
その人は、そもそも金銭的に貧しい家庭に育っていて、学校ではいつも汚いと言われていた。
でも、会話してみればとても穏やかで、明るい楽しい人だった。
だからなのか、離婚して親権が相手に行くととても悲しんだようです。
彼女には子供を育てる経済力なんてこれっぽっちもないし、おそらく彼女の両親にもそんな余裕は無いんだろう。
でも、子供を連れているときの彼女の顔を思い出すたび、さみしいなと思ってしまう。
子供にとっては、父親側に引き取られて正解だったのかどうかそんなことはわかりません。
とりあえず、近辺で子供が亡くなったというニュースを聞くたび、まさかねと思いつつ真剣にみてしまうようになりました。
幸い、該当しそうなニュースには出会ったことがありません。
依存。
みんな何かに依存している。
依存先によっていろんな評価が為されることもある。
アルコール依存、たばこ依存、薬物依存。
この辺りはあまり良く思われないものだろう。
恋人依存、家族依存、母親依存。
この辺りは程度により良く思われたり悪く思われたり。
大人になるということは、その程度をわきまえ、いろんなものに少しずつ依存することだと言う。
また、依存していたものがなくなったときの代替も用意しておいたりするのが大人らしい。
そんなのが大人なのだとしたら、私はそんな存在にはなりたくないと思う。
何かに強く依存して、それがなくなったら自分が自分でなくなってしまうようなもの。
そんな何かをもって、それと共に一生を終えるのも良いのではないかと思う。
それが何かはそれこそ千差万別、それがアルコールであっても良いし、恋人であっても良いと思う。
さすがに、明らかに自分より早く消えてしまうものだと、代替がないと嫌な結果が見えてしまうけれど。
でも、母親に依存して、母親の死と共に自分の人生を閉じるのも一つの形だと思う。
私はそうなりたいとは思わないけれど。そうなりたいと望む人を止める気もない。
いろんな依存があって良い、そう思う。
だから私は今日も甘いものを食べようと思う。
単純故の美しさと複雑な美しさと。
どちらも美しい。それだけに比較は難しい。
単純だけど美しくないものもあって。
複雑だけど美しくないものもあって。
複雑だけど美しいものが、単純だけど美しくないものに差し替えられたりするとすこし悲しくなる。
デザイナががんばって作ったであろうデザインを、維持出来ないからと素人が作った単純なデザインに変更する。
そんなことが日常的に行われていてとても悲しくなる。
だいたいにして、素人が作ると様式や構造の美しさがあまりみられない。
だから単純なものを美しく見せることが出来ない。
複雑なものを理解出来ない。
やっぱり、デザイナというのはすごいなと思った。
自分は恵まれているんだなと思うことが多々ある。
たとえば、なんだかんだで大学まで行かせてもらった。
子供の頃、欲しいなと思うものの半分以上を買ってもらえた。
母は、自分のものをほとんど買わなかった。
子供に対しては、出来る限りをしていた。
だから、恵まれているんだ、愛されているんだと思った。
うちはうち、よそはよそ。そう言いながら最善を尽くしてもらっていたんだと思う。
うちは貧しいから。そんな言葉も度々聞いた、でもそうは思わなかった。
特に不満もなく、欲しいものの半分以上を買ってもらえていたんだから。
年間のうち、外食するのは1,2度がせいぜい、ケーキはいつも手作り。
それでもなんの不満もなかった。
知人の家でケーキ屋さんで買ったというケーキを食べても、良く外で食事をするんだという話を聞いても、少しもうらやましくはなかった。
外食するより、家で作ってもらった食事をする方がおいしかった。
ケーキ屋さんのケーキより、手伝いながら作ったケーキの方がおいしかった。
だから少しもうらやましくはなかった。
そんなだから、買い食いする習慣なんてつかなかった。
当たり前のように見かける光景でも、自分ではしなかった。
飲み物は持って行くのが当たり前でしたし、昼食なんて言うまでもなく。
だからか、他の人より余りお金を使わないのだろう。
安いと言われている給料でも、少しもそうは思わない。
みんな、何が不満なんだろう。何を恵まれてないと思っているんだろう。
こんなにも恵まれているのに。
どんなに疲れていても今日は始まるし、やるべき事もいくつもある。
疲れていても、やるべき事は待ってくれない。
疲れていても、やるべき事をこなしていくしかない。
何のためにそんなことをするんだろう。
別に私がやらなくても、誰かがやってくれるはずなのに。
私にしかできないことなんて何もないのに。
疲れているときぐらい休めば良いのに。
どうして、どうして、どうして。。
わからない。
けれどこうして私はいつものように職場へ向かう。
疲れた身体をひきずりながら。
夢の終わり。
それは唐突に訪れる。
あまりにも急すぎて、心がついて行かない。
心は夢を追ったまま、身体は現実を歩き始める。
そんなとき、みえるはずのないものがみえるようになるんだ。
みたいものをみて、みたくないものを見えなくする。
なんとすばらしいことなのだろうか。
そうしてしばらく過ごして、心が現実に追いつく頃、やっと夢野終わりに気づく。
そのとき、心はどう動くのだろう。
みたくないものが見えるようになって。
みたいものが見えなくなって。
目をそらすのだろうか、それでも見つめて進むのだろうか。
目をそらすことも見つめることも出来なくて、そこで止まってしまうのかもしれない。
弱くて、儚くて、そんな心だけれど、なんとか進んで欲しいと思う。
一つの夢の終わりは新たな夢の始まりと信じて。
題名のない文章。
中身のない文章。
なにもない文章。
そこにただ文字が並んでいるだけ。
そこには何の思いもなく。
何の声もない。
ただただ文字が並んでいるだけ。
そんなところにも美は生まれるのか。
幾何学的に文字を並べてみる。
やはり美は感じない。
ならばこの文字の羅列に意味なんてないのではないか。
そう、意味なんてない。
ただの文字の並び。
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